運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
1629件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2005-06-08 第162回国会 衆議院 内閣委員会 第12号

片山哲さん、吉田茂さん、中村梅吉さん、植木庚子郎さん、田中伊三次さん、小林武治さん、前尾繁三郎さん、倉石忠雄さん、奥野誠亮さん、坂田道太さん、秦野章さん、最近では梶山静六さん、後藤田正晴さん等々のすばらしい重鎮の皆さんのメンバーがここには歴代法務大臣として並んでいる。  それから、本会議を開いたとき、大体、内閣総理大臣の隣には歴代、法務、外務、大蔵、農林とずっと座ってきたんですよ。

牧野聖修

1982-04-22 第96回国会 衆議院 逓信委員会 第11号

沿革的に考えてみると、ずいぶん以前ですが、小林武治さんという郵政大臣がかつて知事の経験者でもあった。この人が、めんどうくさいからひとつ競願の場合には地方自治委任の方式で調整してもらおうかという、きわめて俗事的に始まったのがこの調整委任出発点だと理解しております。  こういうことが電波法ないしは放送法の正確な運用の中に許容されていいものなのかどうなのか。民法、商法等によるのは別です。

森中守義

1981-02-25 第94回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

小林武治大臣の当時に決めたあの方針があるならば、その方針に基づいてちゃんとやりなさいよ。それをこういうふうにして、どういう理由かわかりませんよ、地元の意見が強かったのか強くなかったのか知りませんが、それはどこの県だって早くやってもらいたいということは異口同音に言っているのです。

鈴木強

1981-02-25 第94回国会 衆議院 逓信委員会 第1号

これはもう小林武治先生がいたころ、やはり外国との混信等もありまして、AMFMをどうするかということも論議したんですよ。U、V混在の問題をどうするか、いろいろ検討した結果、やはりFMに移行していく、中波のAMというのをできるだけ公共的な施設に使っていくんだということで方針が決まっているんだ。

鈴木強

1979-12-06 第90回国会 衆議院 議院運営委員会 第6号

とにかく、そういう立場から私は伊東さんにお尋ねしたいと思うのですが、かつて西村農林大臣あるいは倉石農林大臣小林武治法務大臣等々が発言をいたしまして、辞任をいたしました。私は、厳粛なこの国会決議で、国民国会徹底究明を求めたこの事件に関して、あのような発言があった以上、これは、私はかつてのこれらの発言以上に重要な発言であると思います。伊東さんはどう思いますか。

山口鶴男

1977-11-17 第82回国会 衆議院 逓信委員会 第5号

公社にするかしないかという問題はそれよりもずっとあとの問題であって、いまの形態の中でどれだけ経営が改善できるかということについて労使が真剣になって国民のサービスに努めることが前提条件だろうと私は思っておりますので、それなりに試行錯誤も相当ございますけれども、これは小林武治郵政大臣の諮問の中の文章を見ますと、「たとえば、公社化すること。」

小宮山重四郎

1977-03-29 第80回国会 参議院 逓信委員会 第5号

○国務大臣小宮山重四郎君) 先生のおっしゃるように、四十三年に、当時の郵政大臣だった小林武治先生が、閣議了承じゃなくて、閣議報告でございます。御承知のとおり、VHFというのは、戦争中アメリカで開発されて、戦後、昭和二十一、二年だと思います、一番最初に入ってきて、UHFは三十四、五年から大変な技術改革で日本の中へ入ってきた。最初にチャンネルを与えたNHKNTV等VHFでやってきたわけです。  

小宮山重四郎

1976-10-12 第78回国会 参議院 逓信委員会 第2号

これは小林武治という昔の郵政大臣のときに、非常に複数申請が複雑な状況を醸したものだから、こういう措置をとったのが始まりだと私は聞いている。確かにこの異議を申し立てた申請者が言われるように、何をもって法的根拠ありと答えるのか、答弁ができますか、非常に大きな問題ですね。これがこれから先三局化、四局化に入っていく場合、必ず大きな社会問題になる。  

森中守義

1974-03-28 第72回国会 参議院 逓信委員会 第7号

もう小林武治大臣でこりごりですよ、皆さん、私もそうだ。あんなに干渉し、傍若無人で、かって気ままなことをやった大臣で、もうたくさんです。どうかひとつ、あまり郵政省はNHKに干渉をすることなく、公正を旨とするNHK運営ができるように、そういう面から指導してもらいたい。  このことについては時間を急ぐあまり、私は少し時間を多く取り過ぎた模様であります。

森勝治

1973-06-14 第71回国会 参議院 逓信委員会 第10号

かつて小林武治という有名な郵政大臣がおりましたが、定刻に大臣の出席せざるゆえをもって開けなかったというのは小林さんだけでした。当時は開かずに散会をした例があるんです。それ以後ずっとないんです。あなたで二番目であります。これはあまり芳しくない記録でありまして、こういうことをしばしば踏襲されては、私ども正常なる議会の運営はできません。

森勝治

1972-10-11 第69回国会 衆議院 地方行政委員会 第4号

○山口(鶴)委員 ああいう会合であるからリラックスな気持ちで御発言になったということでありますが、これは大臣もお忘れではないと思うんですが、かつて、衆議院の本会議で、静岡選出小林武治さんですが、当時大臣でございましたが、この方の御発言が問題になったことは御記憶であろうと思うんですね。

山口鶴男

1972-06-01 第68回国会 参議院 逓信委員会 第18号

それから小林武治郵政相は本年一月にテレビ静岡相談役に就任された、こういうことの前提に立って記者団から質問があったのですね。これに対して廣瀬郵政相は、浅野氏は、国家公務員法に照らした場合には何ら異論はないが、免許責任者として直接関係の深いテレビ局に入ったことは、道義的に批判されてもしかたがない。

鈴木強

1971-05-20 第65回国会 参議院 法務委員会 第7号

昭和四十六年五月二十日(木曜日)    午前十時十五分開会     —————————————    委員異動  三月二十六日     辞任         補欠選任      剱木 亨弘君     赤間 文三君  三月二十九日     辞任         補欠選任      赤間 文三君     剱木 亨弘君  四月十二日     辞任         補欠選任      渡辺一太郎君     小林 武治

会議録情報

1971-04-13 第65回国会 参議院 内閣委員会 第12号

昭和四十六年四月十三日(火曜日)    午前十時四十六分開会     —————————————    委員異動  三月二十五日     辞任         補欠選任      渡辺一太郎君     小林 武治君      長屋  茂君     迫水 久常君      岩間 正男君     野坂 参三君  三月二十六日     辞任         補欠選任      安田 隆明君     近藤英一郎

会議録情報

1971-03-29 第65回国会 参議院 本会議 第9号

      高橋  衛君    迫水 久常君       宮崎 正雄君    久次米健太郎君       亀井 善彰君    石原慎太郎君       上田  稔君    長田 裕二君       二木 謙吾君    熊谷太三郎君       川上 為治君    園田 清充君       谷口 慶吉君    米田 正文君       木島 義夫君    佐藤 一郎君       西田 信一君    小林 武治

重宗雄三

1971-03-18 第65回国会 衆議院 逓信委員会 第11号

○鳥居委員 まずテレビの波でありますけれども、VHFからUHFへの移行について、かつて小林武治さんが郵政大臣のころ、昭和四十三年にこのお話をされております。十年計画で移行する、そういう考えでありますけれども、それから三年たった今日、基本的な考え方に変わりがないかどうか、まず伺いたいのです。

鳥居一雄

1971-03-11 第65回国会 参議院 法務委員会 第3号

委員長         阿部 憲一君     理 事                 後藤 義隆君                 鈴木 省吾君                 亀田 得治君     委 員                 上田  稔君                 江藤  智君                久次米健太郎君                 小林 武治君                 

会議録情報

1971-03-03 第65回国会 参議院 決算委員会 第6号

さらにその次、非常に勇ましい方です、小林武治さん、長野出身静岡選出、参議院、四十二年十一月二十七日、秩父多摩国立公園の切手が出ております。これは東京、山梨、長野だったと思います、国立公園の範囲は。それから同じく四十二年七月十日、南アルプス国立公園、これは長野静岡が入っているはずです。あとでまた詳しく申し上げます。

二宮文造

1971-02-23 第65回国会 参議院 法務委員会 第2号

     菅野 儀作君  二月十二日     辞任         補欠選任      藤田 正明君     田中 茂穂君      浅井  亨君     中尾 辰義君  二月十八日     辞任         補欠選任      木島 義夫君     平泉  渉君  二月十九日     辞任         補欠選任      平泉  渉君     木島 義夫君      菅野 儀作君     小林 武治

会議録情報

1971-02-23 第65回国会 参議院 法務委員会 第2号

、その補欠として藤田正明君が、翌二十七日、河口陽一君が委員辞任され、その補欠として佐藤一郎君が、翌二十八日、佐藤一郎君が委員辞任され、その補欠として鈴木省吾君が、また二月三日、堀本宜実君が委員辞任され、その補欠として菅野儀作君が、同月十二日、藤田正明君及び浅井亨君が委員辞任され、その補欠として田中茂穂君及び中尾辰義君が、同月十九日菅野儀作君及び山崎竜男君が委員辞任され、その補欠として、小林武治君及

阿部憲一